知人と話したこと

先日、知り合いと2人で飲み語らった時のこと。
 
2人とも、わりとすぐに酔っ払いになるタイプなので、赤い顔が向かい合って、わりと深いような話をしていた。
 
私は、その話の内容についてを今ふと、思い返している。
 
『愛』
 
愛についてを語らった。
ちなみに、その知り合いというのは、男の人で、ものづくりをする人だ。
 
 
何故だか分からないけど、知らないうちに、他人の悩みを聞いたりアドバイスしたりする立場になっていることが本当に多い私は、また、その知り合いのお悩み相談にいつからか乗っていた。
 
そうなる時は、いつも、風に乗っているみたいに自然な流れで、自分でも気づかないうちに、かなりディープなお悩み相談に乗っていたりする。
 
もちろん、異性としての感情は、まったくないし、友達というには、まったくもって日が浅すぎるし、私にとって『知り合い』なわけだけれども(ひどい言いようで御免なさい)、何故だか分からないけど、すぐに人のこと自分のこと以上に考えてしまう。
 
周りの人に聞いてみたら、『普通は、友達でも家族でもない人のことをそこまで思いやれないよ。』と言われたことがある、けど、私にとっては、そりゃ当たり前のように、そういう気持ちになるから、他の人の言っているように、友達だから、とか、家族だから、とかいう感じで、賢く考えられなくて、自分の中では、その人のことが、好きか嫌いか、というところなのだと思う。
 
それに、相談に乗るのは、嫌いじゃないし、むしろ好きで、そして、悩んでいる人の内容についても、知らない世界が広がっているみたいな感じがして、(不謹慎だけど)興味がわいて、ついつい、自ら入り込んでいってしまうみたいなのだ。だから、別に、多分、私が良い人っていうわけじゃないと思う。
 
(ようやっと、最近、そういう自分の癖みたいな性質に気がつくことができた。)
 
そんな流れで、この日は、その人のお悩み事が心配で、連絡をしたところ飲みに行くことになった。
 
初めて2人で飲み語らうという不思議な状況だったけど、お互いにやっぱり異性としての感覚は、無いのが分かるし、『ものづくり』という共通項と、哲学的な話が出来る点で、話は悩み事以外へと導かれていった。そうして、辿り着いたのが、
 
『愛』について
 
愛についてなんか、誰も共通の答えを持っていないと思うけど。私もその時、その人の意見について、色々と思う点があったわけだけど。そして、自分の知っていたはずの愛というものが、ここ最近まで、霧がかってしまって、まったくもって見えなくなって、分からなくなってしまったわけなんだけど。。。
 
あれから、いくつかの時を過ごして、たった一つのことを想っている時に、私の中に、言葉として語れそうな思想が浮かんだ。
 
愛されてない。とか、愛されたい。とか、そんな言葉や思想すら、お化けみたいな存在で。存在とも呼べないような、目に見えないものだし。
 
愛というものが、
実在するのだとすれば、
 
それは、それぞれ自分の中にしか、ないもの。なのだと、はっ!と閃いた。
 
だから、愛がほしい。とかいう考え方をしてしまったら、それは、とても不幸への入り口なのではないかしら?と。
 
与えてほしい。ほしい。ほしい。
という欲望は、いつか自分をダメにしてしまう。
 
『もともと、自分の中にしかないもの』
 
っていう考え方は、どうかしら。
そしたら、ひとりぼっちでいても、誰かといても、関係ないし、常に安心していられると思ったの。
 
ほしい。という気持ちは、
満たされてない。ということを肯定してしまう呪文みたいなものだなぁ、と思ってて。私は、ずっと恐かった。
 
だから、そんな感情が自分の中にあることを知った時、えらく幻滅して自分のことをものすごく嫌いになった。
 
でも、こんなふうに考えていれば、
間違った『愛』の幻に、自分自身が振り回されることなんて、なくなるから。
 
今度、あの人に会った時に、そんな話をしてみようかな。どうかな。
 
私も結局、ひとりぼっちだけど。
今は、なんとなく、それでも大丈夫なんだって、分かってきた。
 
足りないものも凄くたくさんあるけど、
やっぱり生きてるだけで、なんか、いい感じ。辛いんだけど、いい感じ。
 
ゆっくり、深呼吸、そして、
まったりと、生きてようって。
 
- 愛 -