すてきをさがス〜

6月23日(ど) 雨ザーザー

去年の春に写真を撮ってくれた[ 吉野さわ子 ]ちゃんのニックネームは、「 ぎゅう」ちゃん。今日は、彼女とその娘さん(1歳の赤ちゃん)に会いに、お宅訪問してきた。

撮影してくれた2017年3月のあの日、彼女のお腹はポンポコリンで「こむら返りが大変だ」と言っていたのを覚えている。私はその時生まれて初めて[こむら返り]という名前を聞いたので、それについてが何なのかよく分からないで彼女の話を聞いていたけど、そのこむら返りというやつは、なんだか妊婦を辛い気持ちにさせるらしい。ということが分かった日。

(辛い中でも 元気なぎゅうちゃんは 楽しそうに私の撮影をしてくれたのだった。
写真に写るのが不得意な私をあんなふうに撮れるのは ぎゅうちゃん だけよ。)

あとでそのこむら返りの正体を聞いたら、それというのは、妊娠すると起こることがある、足がピキーン!とつるやつなのだそうだ。(つらそうねぇ。)

女というものは、ある時突然、身体が勝手に母体として生きる準備を進めている。なんだか自分の意志などとは関係なく起こることなので、受け入れるしかないようにできていて、生き物の凄さ、生きていることの凄さ、その不思議さ。を感じるのだ。

毎月おとずれる深刻な痛みに耐えながら、永く生活しているというのに、妊婦となると、肉体的に、さらなる苦しみや困難が押し寄せるようにやってくるのだそうだ。
私と同い年の女性たちは、出産を経験した人の数が多くなった。33歳は、そういう年齢なのだ。みんなの話を ふむふむ と聞いていると思う。

母体になるのは、痛そうで恐いなぁ。と
みんな本当かっこいいなぁ。と

肉体的には辛く、精神的にもだんだん辛くもなるそうだけど、でも、自分に宿った生命を感じながら共に生きるという意識が生まれていくと、その痛みや辛い時期を乗り越えていけるほどの「幸福感」「母としての勇敢な気持ち」を持つことができるようで(勿論、感じ方には個人差がある、でも私の周りの人達にはそう言う人が多い。) 不安も沢山の中で、それでも、時期が来るのを待ち大丈夫、大丈夫、と念じながら母親になってゆき、いざ産まれることになったら、「ぬを〜〜〜〜!」と最上級の痛みと叫び声を出しながら、宿った命を外の世界に導くのである。

何回、そのことについて考えて、想像を張り巡らせたことだろうか。実際に体験したことのない私には、到底理解し得ない、そっちの世界のような話である。
私がどうしたいかとか、私がどうなるかとかはさておき、最近気がついたことがあって、私は単純に、母親という「経験」に随分と前々から興味がある。というか、やっぱり憧れているのでしょう。母親になった友達の体験談を聞くのも楽しく、産まれた赤ちゃんと遊ぶのも楽しい。全部について、私は見習いの立ち位置でしかない、ど素人。ずっと初心者な気分でいられることも、また、大切なことのようにも思う。

ぎゅうちゃんは、私の一つ年下で、去年の6/9 ロックの日に無事出産。(生まれた0歳の赤ちゃんを抱きに行ったのも、この日記に載せたっけ。)

赤ちゃんは、1歳になり、歩いて意識を表示するようになっていた。

ぎゅうちゃんと話をしていて、感じたことは、ぎゅうちゃんは、色々な人の力を借りながら、お腹の中で育て、色々な人の力を借りながら、産み、色々な人の力を借りながら育てているのだなぁ〜〜ということだった。

環境や、人間関係や、パートナーとの絆とか将来像とか、逆算的に生きているわけではないけど、やっぱり、新しい生命を想うと、未来の地球に繋がることだから、「色々な人の力を借りながら生きていること」って、忘れちゃダメだなぁ〜

と、思った。

そして赤ちゃんは100%手を抜かずに喜んだり泣いたりで生きて遊ぶから、ビシビシと色んなことを感じたり学んだりするんだなぁ、と思ったなぁ、、、。
私は去年の夏頃まで、感じないように傷つかないようにする事を熱心にしていて、得意になりそうだったんだけど、そればかり得意になってもしょうがないし、やっぱり中田真由美は感じるままじゃなくっちゃさ〜!と、思って、気づかされた。

「感じていていいよ」

と、自分にそう言ってやりたかったに違いない私は、そう言ってくれる人に出逢いたかったに違いないなぁ。と。

そういうことを考えながら、赤ちゃんと遊んで一緒に二人で「いないいないばあ!」って笑ってたら、ぎゅうちゃんは
「面白いお姉さん来てよかったね〜!」
と赤ちゃんに言っていた。

よかったね〜!
と、側から見てる人も客観的にもそう思えたということだろうか。それは、目指すべきステージ表現での私の中の一つの大切なポイントのようなものだ。

お互いに気持ちよく楽しい時間空間がありそこに居合わせる他者をも顔や心を緩ませる「反応」。
それが決して非日常的ではないことを教えてくれて、とても安心した。

赤ちゃんと向き合う時、
人は純粋さを取り戻す。

大人だって 純粋さを失ったわけではない
もともと持ってるものが引き出される
赤ちゃんには そんな力がある。

そんな素敵なことを 理解して、
わたしは またまた おもった。


7/23のワンマンライブ、
私の楽曲を私が歌う時間なのだけど、
色々な方々のチカラを借りる夜なのだ。

初めてのトリオ編成。
スーパースペシャルなチカラを持っている
お2人がサポートしてくださる。
その幸せと共に、

コントラバスの村木充さんと、
ピアノ、ケンハモの夏秋文彦さんが、
一緒に音楽の中で遊んでくださる。

そして、お店のスタッフとして、
沢田ナオヤさんが見守っていてくれるし、

お客様もいるのだから。
素晴らしい!!


そこに、産まれるもの
その時間に、私がそこにいて、

人生で一番大好きな!歌が歌えるのだ
真ん中のことを歌うのだ。



今日、ぎゅうちゃん家で気づいたことを思い出しながら、
「 うん、わたし、それでいいのだ! 」と
思えた。


すごく素敵なことだぁ〜なあ〜。

だからこそ、
みんなに聴いてもらいたい気持ちが
今 爆発しそうなのね〜。

ハッハッハッ!


赤ちゃん、ぎゅうちゃん、ありがとう。


ああ、すてき!