映画みたいに

2018年6月11日(月)

なんだか とっても ねむれない
ねむれない から えいが を みた

「悪人」

という えいが は 妻夫木聡さん
深津絵里さん が 主演 の ふくざつ な
内容 の ストーリー だ。

ひと を 愛 する こと

それに ついて を かんがえさせられる
いい えいが だと おもった。
なんでも ま に うける わたしは
うすっぺらい うすっぺらい 付き合い方
そんなのは まっぴら ごめん だ。

かつて えいが みたいに 愛に つっこんで
だいじこ みたい な じんせい を
あゆんだ けれど 
その えいが みたいに 真剣に つっこんだ
その とき の さいしょでさいごの
愛 の おかげで わたしは うたっていた

歌うしか なかった わたしの ココロは
芸術のちからを しんじていたし
いまでも しんじている。

でも 愛 は もっと 軽やかでいいのだ
でも 愛 は もっと 広くていいのだ
空気 の ように    愛情 として 漂うのだ

えいが は そうごうげいじゅつ
芸術 が そばにない じんせい なんて
わたしは 想像 できない。
芸術 は あいすること が エネルギー。

ぼっとう しすぎることが おそろしい
ことでも ある ということを しりながら

この えいが 「悪人」の
登場人物 に ぼっとう しながら
いま の じぶん と おきかえて 考える

だれが いいヤツ わるいヤツ って

考えれば 考えるほど いつだって
じぶん は わるもの のように わたしは
おもいこんでいるから。

えいが の あくにん を みていたら
なみだが たくさん たくさん あふれてた。

だれも それを はんだん できない

そこに 美 を 貼る のは 変 だよね。

でも ひとは ひとも愛すし
なにかを 愛して 呼吸を する


なにかを しんじて 生きている


ねむれない よる に 泣きながら
鏡 に 写る 映画 に映る

じぶんの へんなかお を すこしわらって

きょうも わたしは 呼吸を して

しらぬまに ねむっているのだ