おじさまと少女


7月12日 水曜日

いろいろと疲れが出ていたので、映画を観る日にしたけれど、そのわりには、二本連続で鑑賞する体力と集中力があった。


映画『紅の豚』

スタジオジブリ作品。何故か魔法で男の人が豚にされてしまっている主人公の過去については、想像にお任せ状態で、特別な説明などがないのも驚くけど、この主人公である豚おじさんに恋をしてしまう気持ちが分かってしまう乙女心の不思議にも驚きだ。宮崎駿さんの描いたダンディズムは、男性にも女性にも永遠の憧れに近いと思われるその象徴が、この主人公の豚さんなのである。

顔じゃなくて、心を磨いとかんとね。

というところの学びがあるし、おじさまに恋するヒロインのフィオという女の子も、賢く、気高く、強くて、可愛い。映画の中でも、モテモテの彼女は、またまた、男性にも女性にも永遠の憧れのように映るだろうと思う。

宮崎駿さんの素晴らしさを味わえて、今、この映画を再度見直すことができて、とてもよかった。



二本めは、
チェコの人形映画
『KOOKY』

を鑑賞した。ここ最近、お人形さんとのコラボレーションが増えているので、お人形さんを操る人たちや、それを作る人達、映画であれば、それを映像化する人達の作品が自然と興味深くて、そのため私は手に取ったのであろうと思う。

空想。私たち表現の場を持つ人間には、それこそが大事な時間だと思う。空想なしには、作品が産まれないですし、遊び心や、イタズラ心を忘れてしまっては、制限された四角い箱の中から飛び越えることはないと思う。人間の手によって産み出されるファンタジー映画は、私にいろいろな大事なことを伝え考えさせてくれる。

そう、考えてみると、完全なるファンタジー世界っていうのは、この世にないのかもしれないし、それを産む親こそがファンタジーなのではないのかと思う。この世の物事は、全て錯覚で、人間が感じたと思い込んでいる、それら現実が全てにおいてファンタジーである。という話を何かで読んだことがあるのだけれど、そういう考えも面白いなぁと思う。

メイキング映像も楽しかった。

時間をかけて作品を作り発表するその過程のほうが、今の私は、興味深いようであった。


映画ばかり観てると、また私の脳が映画時間軸になってしまいそうだから、気をつけなくっちゃ。