ほりちえちゃん


昨日、下北沢のタウンホールという場所で行なわれたお芝居を観に行った。私と同い年のお友だちであるほりちえちゃんは、20代の頃、舞台女優から歌の世界に移行し、そうして東京幡ヶ谷36°5というライブハウスバーで、私と出会った。

彼女は、しばらくお芝居はしていなかったけれど、時々歌い手仲間と演じることをしていたりしていた。私は、それを観に行ったことは一度もない。歌う姿で出会った人とは、歌う姿で会いたいという私の願望も強い時期だったし、今思えば、歌う人が器用に色々しているところを見たくなかったのかもしれない。

そんなこんなで、歌う姿で何年かに数回、365で会ったり、ステージを見たりする仲になり、27歳の頃に、ほりちえちゃんは、何かが変わった。私の知っている彼女から小さな羽根が生えるような感じで、その時、なにかをきっかけにして、彼女が変幻したように、私は感じた。

同じ頃、また別の同い年の歌い手の女の子に羽根が生えるのを見た私は、きっと、27歳になると、人は何かが変わるものなのだな、と思った。

私のほうはその頃、前向きに人生が転がった気がした。気がしただけだったかもしれないけど、気がする、ということは凄い力が働いた時にしか感じられないものなので、きっとその頃やっぱり、凄い力が働いたのだと思う。

おそらく、私はあの頃、ほりちえちゃんとそれまでよりももっと仲が深まったと記憶している。

あれからもうすぐ5年くらい経つ。

私も色々と理解が深まり、大人になりつつあるので、歌い手が別のステージで演じる姿を見ることに興味が湧くようになった。とくにほりちえちゃんという生き物は、面白いなぁと信じてやまなくなったので、色々な姿が見たいのであった。

というわけで、昨日は、役者ほりちえを観に行ったのである。

彼女はとある劇団で、役者としても、羽根を広げていた。


友達の見たことのない表情や、動きを見るのは、家族が外で他人と仲良く上手にトークしている姿を見る時に似て、なんだか、ゾクゾクしたりもした。けれど、それはとてもレアな気分で、とても新鮮な感覚ということで。

まるで別人、というわけではないけれど、あの人は誰だ?と錯覚を起こしながら、お芝居を楽しく見ることができた。

今回のお芝居のテーマも、すごく興味深いもので、おもしろかったなぁ。


私は、女友達として、ほりちえちゃんには私生活を支えてもらっている。私の激しい理想論や、感情の波なども、彼女に話して聞いてもらうと、安堵したりして、なんとなく母のような存在で。

これからも、彼女がいろんなステージで、表現者としての彼女の姿が、認められてゆくことを私は願ってやまない。


見てるぞぉ、ほりちえ。