映画『ヴィオレッタ』


『フレンチ・ロリータ』という言葉の響きと、ジャケット写真の"少女の魅惑の美"に見惚れてしまって、ついつい手にとってレンタルしてしまっていた。

なんだか、芸術としては少し、やらしい方向というかエロティシズムな方向のものを借りるのは、多分、生まれて初めてで、小心者の私には、少し勇気がいった。

例えば、少年がエロ本を買う時の気持ちは、きっとこういう、こっそり隠れたい気分なんじゃぁないかな?なんて想像しながら、TSUTAYAのレジカウンターで、何くわぬ顔をしてレンタルした。

(そんなの誰も気にしてないはずなのに、どうしても自意識というのは、難しくコントロールできないままである。)

とはいえ、映画を観てみると、思ったより過激なシーンはなくて、どちらかというと、母親とは?娘とは?親子とは?愛とは?生き方、エゴ、とは?というところの、監督が体験した実話を元にした話で、本人も言う『道徳的』な映画だった。

写真家の母親が幼少期の娘のヌードを撮って売るという話で、娘の美しさが、だんだんと母親を狂わせて、愛の向け方を間違えてしまう。というわけである。半分以上本当の話らしいから、とても恐い話だ。

自分に息子や娘が出来たら…。と、色んな想像しながら生活していて、しかしながら、まだそのような運びにはならない私だけれども、自分の子に愛は注ぎたいけど、あまり干渉しないようにしないとなぁ、と、やや危ない自分の思想の強さみたいなものを鎮静化する為には、とても効果的な映画だったと思う。

『愛』ってとても難しいんだ。

最近、私はそう思う。自分自身で管理しておかないと、度が過ぎてゆくものだと。

歌うことや、創ることは、その、度が過ぎた状態でこそ突き動かされる意欲が生まれるわけだけど。歌を創ったり、歌ったりする自分だからこそ、その危うさを感じるわけである。

子供ができたら、確実に私はこう言われるだろうなぁ、と思う言葉ナンバー1は、、、

『ウザイ、キモイ』

ふむ。これは、事実なので否めないね。とほほ。と、まぁ、妄想で過ごしていること自体、危ういのである。ツッコミどころ満載なのだ。

というわけで、美しい少女を鑑賞しながら、親の成すべき愛の注ぎ方を考えることのできる映画が観られた。

- 完 -