ともだちとおさんぽ



大雨だったから、ダメかと思ったけれど。ちょうどお昼過ぎに雨がやんで、晴れ間ものぞいたから、予定通りにお友達と、赤ちゃんと、3人でお散歩をした。

 

あ〜あ。私もはやく赤ちゃん欲しいぃ。赤ちゃん可愛いなぁ。可愛いだけじゃない!と分かるけど、可愛いね。きー!とか、ぎゃー!とか言うけど、その不器用さが、愛おしいです。なんか、一緒になって、きー!とか言うと、楽しくて、私の中には、また新しい歌が出来そうで、心躍る。妄想ですけどね。妄想なのですよ。


しかし、妄想で歌は描けるけど、赤ちゃんの歌は、妄想じゃ描けないわよ。本物の体験が無いと、響く歌は描けない。

それが命の歌だもの。

 

赤ちゃんの前に、真の関係を築けるようになって、夫婦になって、それから赤ちゃんを産む、育てていく。そこに辿り着くまでの道のりが遠く。飛び越えられるものなら、飛び越えてしまいたい。ドラえもん、何かいい道具ないですかぁ〜?と、時々、あらぬ方向でズルい考えがよぎる。ダメダメ、それじゃぁ、愛の歌は、歌えない。


こうやって、いつだって歌う自分が自分を監視していてくれるから、あんまり悪いところまで落ちぶれずにいられた気がする。不思議だね。純粋なものを誰しもが、心に隠し持っている。そして、その純粋な部分を汚しにかかる人間もいるし、自分自身でも、やけになってくると、汚しにかかってしまうけど。

 

生活は、歌となり、歌は私の命に直結している。だから、悪魔が心にやってきたとしても、滞らず「ここには、あなたの住む場所は御座いませぬ」と言って、お帰りいただくことができるわけである。(スピリチュアル的な表現。笑)


先日の池ノ上ボブテイルの店長たかえさんが、『天使が近くにいそうでした』という有難い感想をくださったのですが、私は、まさに今、その『天使』というものについてをよく知ろうとしていたりする。


天使には、怒りがなく。淀みもない。純粋に物事を捉え、人を光の方向へと導くわけである。


私が、この日記で、過去に『存在するようでしない存在』についてを綴ったことがあるけど、そう。それはソレについてを言っていたのです。

いい歳をして、一体全体何を言っているんだ!笑。と笑われてもいいのです。

ただ、ソレに近い音や歌を歌えたら、そこに居る意味が自分の中で見出せると思っているのです。

 


最近、仕事のほうで、ストレスが強くあり。頭も痛くて。何も務まらない。友達に、愚痴をこぼしてしまった私は、反省しながらも、話して思考をシャッフル出来ることの有り難さを同時に覚えて、今日を終えた。


赤ちゃんは、まるで、天使。

ツルツルしてる。ふわふわしてる。

淀みなく、何も滞っていない。

無邪気な笑顔、自由な感情表現。



天使を産んだ友達を尊敬する。




- 命 -