のほほん



真骨頂です。

しんめんもく。しんめんもくって、真面目って書くらしいです。真面目って、マジメって読むでしょ。これだから、日本語は、難しい。「しんめんもく」の意味は、

[名・形動]
 人や物事の本来のありさまや姿。真価。しんめんぼく。「真面目を発揮する」「真面目を保つ」
 まじめであること。また、そのさま。しんめんぼく。


ということらしいです。
私が何を言いたいかと言うと、私は、「のほほんと生きてるのが、私のしんめんもくだと思い出したのです。」ということです。(のほほんというと、マジメじゃない印象でしょう。だから真面目を、しんめんもく、と読んでいただきたいのですが、これが文章だとなかなか難しいものです。)


私は自分で言うのも何ですが、マジメです。それでまた、マジメの度が過ぎるみたいですね、なんでも間に受けてしまう。頭が柔軟なのに、かたい。なんとも奇妙な話です。柔軟な世界は、ぽっかり空いたところに、ブラックホールみたいなものがあって。小さな穴なのに、その奥がズドーン!と、ただ広い異空間みたいな場所になっていて、そこには、想像の力が秘められているような気がします。

皮膚みたいな性格面が、生真面目なので、生きづらくて想像したがるんですね。。。逃げ道は、脳内にあり。日常のストレスは、確かに、楽曲を作る際のきっかけになっているかと思います。なので、どちらも必要不可欠なのです。さらに私は、物事を極端にしか考えられないので、生真面目のおバカさんなのだと思います。

本当の生真面目さんなら、きっと、0から100までを丁寧に一つ一つ数えられるはずですが、私は、0か、はたまた100か。という形でしか、理解できません。
これは、マズイ。
と、友達に言われました。ん〜。マズイ。そう思います。でも、グレーゾーンが苦手です。グレーゾーンには、痛い目をみてきたし、曖昧な話には、極度のストレスがまとわりつくのです。

白か、はたまた、黒か。

そういう事を考えると、グレーが生まれてしまいますが、もともと、世界は、白と黒だけではないと、それは理解できるので、カラフルな話をすれば、いいのかなぁ。

赤と青、紫、黄色と緑、黄緑、白と赤、桃色、そして白と黒、灰色。全部混ざると、みんな黒。

話をすると、そんなようなことで、今は色々と疲れてきてしまったのです。TwitterもFacebookも、みんな、みんなが、その人の日常や思考や状況を知った気になっている。私は、生真面目が発動している期間は、なんでも、本気で向き合う癖があって、自分と同じものを希求してしまうところが、かなりの欠点だなぁ、と最近、痛感しました。

相手が本気じゃない場合。
自分も本気じゃない程度に、気軽にやる。
そういう程度のバランスの取り方が、上手くならないです。ここも成長できればいいなぁと、思い、続けてみたのですが、やっぱり、なかなか難しいです。

一時は、こんな感じでいいやぁ。と、やれる時もありましたが、結局居心地が悪くなり気付いてしまいます。

スポーツにせよ、対バンにせよ、仕事にせよ、遊びにせよ、なんにせよ、せよせよせよ。

自分が相手と楽しくなるには、面白くなるには、本気で向き合う者同士が、時間を分かつ、言葉を交わす、そういう事でないと、きっと死ぬ時後悔するはめになるなぁ。


という、考えに、至ってしまいました。


なので、やり方を変える。事にします。もしくは、止めるか。そこは、まだ検討中です。


だいぶん、話が逸れましたが、真骨頂は、「のほほん」。本来の私の姿です。のほほんと生きることを忘れてしまっていたので、色々苦しくなってきた気がします。


マジメが真骨頂なのではなくて、のほほんが真骨頂。マジメは、常に表れて出ているし、マジメは、着ぐるみのようにも思われてなりません。いい子ちゃん。


どちらも自分の癖や、性質だったり、全部本当の部分で、何も偽ってはないのですが、最近、その生真面目だけが分厚くなってきてしまっていて、自分が自分を受付ない感じです。個人的にそう感じるだけかもですが。

窮屈は、よろしくない。

だから、言い聞かせて、リハビリですねぇ、のほほんのほほんのほほほーん!
ぱかっと。


まぁまぁまぁ、
色々と言ってみたわけですが、基本的には、ふざけた女郎ですので、悪しからず。


のほほん、です。
にょほほーん、ですから。




それで、写真は、またお気に入りの喫茶店で今ハマっているチーズマフィンとアイスコーヒーと、、、


郷ひろみさんの写真は、何の関係もなく、偶然見つけた面白い画像だったので、載せています。

いい顔。

絶妙なタイミングの出会い。 
ありがとう。笑




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