「中田さん、
言葉に墓場があったら
面白いと思いませんか?」
何年前のことだったか。私が映画館で働いていた頃、バイトの後輩さんが突然私に聞いてきた話を突然思い出した。
私は、なんて答えたっけ。
確か…
「面白いです。その話。」
と答えたんだっけ。
あの頃、私は言葉のことをよく考えていた。とても言葉のことが大好きで。とても愛したし、今でもほどよく愛してる。
だから、その「言葉の墓場」について、私は食い気味で返答をした。
耳で聴いたことが、形にならずに、目に見えないまま、そのまま消えて無くなる。でも確かに私達は、聴いた言葉を見ているように感じ取って、どこかにしまい込んでいるし、私達が聴いた放った言葉達の行く宛を考えたら、いったいどこにいったんだろうか。と考えるのだ。
そこで、墓場。
例えばもしも、昨日聴いたあの人のあの言葉が、今日は死んだのだとしたら、墓場に埋めるべきたと思う。
記憶するのではなく、墓場に埋めてあげなければと想う。自分の中だけで納めるのではなく、火葬か何かしてから、余った骨を土に埋めるのだ。
ツイッターというものが、あの頃は、なかったから、自分の脳内の言葉を誰か(不特定多数の他人)と頻繁に軽快にもしくは浅く広く共有することは、なかなか想像しにくかった。
ふと、そんな事を思い出したきっかけは、先ほど出来た曲の詞を、ツイッターにアップしたことだった。
その瞬間に、さっきまで自分の中では生きていた言葉達が、何故か、ツイッターにアップした途端に、「あ。死んだ。」と、感じたのだった。
自分の中だけで納めるのではなく、火葬か何かしてから、余った骨を土に埋めるのだ。
言葉の墓場は、どこにあるのか。
私には、分からないけど。
あったら面白い。
そんな話を思い出したという話。
完。